まほらの天秤 第26話


その時、一陣の風が舞い降りた。
その風はまさに目にもとまらぬ速さで建物へと掛け込むと、意識なく倒れていた黒衣の人物を抱えて炎の海から飛び出した。
ごうごうと赤い炎に飲まれ燃え続ける家を背に立つ人物は、黒い服に狐の面の人物を抱えて、静かな怒りを宿した瞳でこちらを見つめていた。
それは、ここにいる誰もが知る人物だった。

「スザク!?」

どうしてここに。
ユーフェミアは目を見開き、驚きの声を上げた。

「・・・なぜ、こんな事を?」

押し殺したようなその声は、今まで聞いた事のないほどの冷たさが宿っており、こちらを睨みつけてくる瞳は、別人のように暗く冷たい物だった。
ここにいる全員を噛み殺さんばかりの殺気と気迫に、知らず息をのんだ。
スザクは辺りを警戒しながら、腕の中の人物を地面に横たえて首筋から脈を測ると、それまでの厳しい表情をいくらか和らげ、安堵の息を零した。
それだけで、悪魔と呼ばれた青年が生きている事が、易々と解った。

「スザク、その者から離れなさい!」

ユーフェミアは力強い声でそう命じた。
まさかスザクが悪魔を助けてしまうなんて。
炎で浄化し、二度とこの汚れた魂が世界に現れないようにしなければならないのに、優しいスザクはその悪魔の命を救ってしまった。普通であれば、これが悪魔相手でなければ、流石スザクだと手放しで褒め、主として褒美の一つでも上げただろう。
だが、相手は悪魔なのだ。
ブリタニアの歴史にその名前を残した、悪の代名詞ともなった人物なのだ。
助けてはいけない相手なのだ。

「断る」

低く冷たい声で、スザクは即答した。
怒鳴ったわけではないのに、心の芯まで震わせるほど威圧感のある声だった。
悪魔を殺そうとした者達は、スザクの姿と声に気圧されて、皆口をつぐんだ。
反対にダールトン達は、そんなスザクの姿は頼もしく思え、黒衣の人物が焼き殺されること無く、無事に救い出されたことに思わず笑みを浮かべていた。
スザクは迷うこと無く悪魔と呼ばれた青年の拘束を解いていった。
それは駄目だと、ユーフェミア達は慌てて何度もスザクの名を呼び、何度もやめるようにと命令したが、スザクは全てを聞き流した。
そもそも彼らはスザクの主でも何でもない。
かつての皇族によく似た誰かだ。
その命令を聞く必要は無い。
きつく縛られたその拘束は、袖をめくると火傷の痕の上にくっきりとしたロープの痕を残しており、その痕とそこから先の手足が赤黒く変色し、強く縛られ、ろくに血液が流れていなかった事を示していた。
殺す事を目的としているのだから、加減していないのだ。

「なんて酷い・・・」

悲しげに顔を歪めながら、ポツリと呟いた。
このままでは壊死する恐れもある。
少しでも血が流れるようにと、その部分をさすった。

「枢木、それが、悪魔なのだ」

スザクの行為を咎めるように、コーネリアは言った。
スザクは擦る手を止め、ゆっくりとコーネリアへと視線を向ける。
冷たく、感情の見えない翡翠の瞳に見つめられ、思わず恐怖で体が引けた。

「・・・そうですね。あなた達が悪魔と呼び、虐げている人物です」

横たえた青年を守る様にその前に立ち、鋭い視線でスザクは彼らを睨みつけた。
そして、彼らの直ぐ側でダールトンとジノ、アーニャ、ノネットがロープで拘束されている事に気づき、すっと目を細めた。
あれだけルルーシュの心配をしていたダールトンが、こんなことに協力するはずがない。賛同しなかった四人を拘束し、その状態でルルーシュの死を目撃させることで罪の意識をもたせ、口を封じるためか。あるいは炎に焼かれるルルーシュを見て、自分たちが間違っていたと、彼らが考えを改めるとでも思っているのか。

「その者は、生きていてはいけないのだ」

オデュッセウスの言葉に、スザクはますます目を眇め、まるであざ笑うかのように口元を歪めた。

「何故か、お聞きしても?」

まるで馬鹿にするようなその言い方に、ああ、やはりスザクは悪魔に魅入られてしまったのだと、ユーフェミア達は思った。
あの、太陽のように眩しく、愛らしい笑顔しか見せなかったスザクが、こんなに冷たく歪んだ笑みを浮かべるはずがない。
声を封じ、その容姿を消しても、こうして惑わすのだ、悪魔は。
だが、スザクは理由を聞きたいと言った。
ならばまだ正気に戻るはずだと、ユーフェミアはごくりと固唾をのんだ。

「スザク、その悪魔は、悪逆皇帝ルルーシュの生まれ変わりなのです」
「それで?」

今まで常に騎士として、ユーフェミアに対し礼を欠かさなかったスザクが、礼を欠き、そっけなく答えたので、ユーフェミアは傷ついたような表情を浮かべた。
変わってしまった、あのスザクが。
ああ、悪魔はなんて恐ろしいのだろう。
ユーフェミアは恐怖から、ブルリと身を震わせた。

「悪逆皇帝は、平和な世界に争いの火種を巻き、世界征服まで行った悪。英雄ゼロによって打たれるまで、世界は地獄だったと言います」
「世界は地獄だったと言います、か。・・・誰が言ったんです、そんな事?」

あざ笑うかのように、スザクは言った。
そんな事さえ分からなくなってしまうのか、悪魔に誑かされると。
だが、スザクにそれを示すのは簡単だと、ユーフェミアは答えた。

「歴史書に記されています!」
「ああ、歴史書か。あの、嘘だらけの歴史書に意味なんてないよ」

感情のこもらない声で、スザクはそう言った。

「嘘だらけ?枢木、その悪魔に何を吹き込まれた!歴史書は全て真実、それを!」

コーネリアが激昂し怒鳴りつけると、スザクは視線だけを向けてきた。

「残念ながら嘘です。あの本に書かれている事は嘘ばっかりだ。誰が作ったかは知らないけど、よくここまで都合のいい歴史に作り替えたと感心したよ」

嘘に嘘を重ね、まるで真実のように作り変えられた歴史。
勝者が歴史を作るとはよく言うが、まさかここまでとはね。
呆れも含んだその言葉に、ユーフェミアが言葉を返そうとした時。

「嘘だらけか。成程、やはりそうであったか」

威厳のある重厚な声が辺りに響いた。

「お父様!?」
「陛下!?」

声の方へ視線を向けると、ヴァトシュタインを従えたシャルルがそこに立っていた。

「やはり?貴方は何かに気付いていたのか」

探るような視線を向けると、威圧感はあるがやはりあの当時のシャルルとは違う・・・威厳だけではなく穏やかさを感じさせる表情で見つめ返してきた。
これは戦争の、争いのない、穏やかな世界で生きた差なのかもしれない。

「儂は歴史学者として、過去の歴史、特に悪逆皇帝時代のブリタニア史については深く調べておる。あの歴史書の歪みぐらい気づいておるわ」

むしろ、あの歴史書が歪んでいる事は、歴史学者にとって常識。
さも当然のように言われた言葉に、スザクは眉をひそめた。

「ならば、ぜひあの下らない歴史書を世界から根絶させて、正しい歴史書を作り直してください」

あの馬鹿げた歴史書が無くなれば、こんな事は二度と起きなくなるだろう。
本当に、アレを偽りだと気づいているのなら、だが。

「そうしたいのは山々だが、殆どは儂の推測でしかない。発表した所で笑い飛ばされるだけよ。だから聞かせてはくれまいか、歴史の真実と言う物をな、枢木卿」

スザクはハッとしてシャルルを見た。
今、何と言った?
なんと、呼んだ?
ざわりと、背筋が震えた。
他の者達とは違う。
スザクを通して過去の枢木スザクをて、呼んだのとは明らかに違う。
背中は燃え上がる炎で暑いほどなのに、ざわりと肌が泡立った。

「ダールトンの報告は聞いている。今は岸野零という名だそうだな。そして、瀕死であったはずの体が、ほんの1日足らずで回復したことも、聞いている」
「・・・昔から、傷の治りは早いので」

それでも早すぎるだろうとシャルルは笑った。
ああ、確かにそうだろうと心の中で同意する。

「日本の名前だから、最初は気づかなかったが、なるほど、解ってみれば、枢木卿に相応しい名前と言える」

シャルルの謎かけのような言葉とスザクの反応に、皆は異様な空気を感じ、口を閉ざした。辺りにはごうごうと建物が燃え上がる音だけが響いていた。

「・・・何が言いたい?」

暫し間を開けて、スザクは問いかけた。
嫌な予感がする。
この男は、嘗てあのルルーシュの父だった男。侵略戦争だって、馬鹿では出来ないことだ。一定レベル以上の頭脳があってこそ、あれだけの強行策が出来るのだ。
背後に感じる熱気とは違う物が体を震わせ、冷たい汗が流れた。

「二つ、教えてほしい事がある。恐らくはそれで、儂の推測が正しいかが解るはずだ」
「・・・自分に応えられる事なら」

暫く考えた後、そう答えた。

「では聞こう。一つはゼロの正体、もう一つは、悪逆皇帝の騎士の名を」

にやりと、意地悪そうに口を歪め、シャルルはそう尋ねた。

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